遺書

息してる証明に綴る ASD女性のブログ

離婚について 後書き

契約とは、なんなのか。

法的に家族になってもこんなの家族ではなくて

ただの奴隷ではないか。

 

そう感じた私が離婚を決意したのは去年の夏だったか、正確にはいつだったか思い出せない。

愛し合って結婚したわけではないし、たまたまタイミングがあったから

だめで元々で結婚した。

 

ただ今こうなってみると、

精神的に状態の良くないときに

自分に自信がなく

年齢的な焦りがかなり強かったこともあり

結婚する!と、いきなり決めてしまい、

相手に乗せられたまま無理に早く推し進めてしまったところはあった。

 

友人に相談したらまずもう少し様子見を、と全員が全員言ってくれたのに

私はそれを相手の押しに負けて受容してしまった。

離婚した今も、

「なんで結婚したの?あの人と」

と言われるような元夫。

 

しかし私は自分の親にも友人にもこの人の悪口などは一切言ったことがなく、

離婚する、と決めてからようやく自分の気持ちを吐露できるようになったくらいで

それまでひたすら何もかもを我慢していた。

それこそが良くない行為で、

そうなる前に周りにもっと早く相談できればよかったし

相手は相手で行動が遅過ぎた上、後になって「実はこうだった」「こうなった」というような点で、その点すら致命的に私とは合わず

相性が悪かった。。

 

元々水に油の二人で、真逆を行く二人であったし

合わないことはしょうがないので

お互いに寄り添っていこうと思っていたけれど

合わないことがあんなにも辛いともおもっていなくて

私の考えが浅く、決断が早かったのも良くなかった。

 

『まぁ、何とかなるだろう』

私の口癖である

だけれど

「まぁ、何とかならなかった。無理だった。」

 

 

 

 

ずっと昔、この街に住むようになる前、

親の反対を押し切って上京し

一人、電車に揺られた時もそうだった気がするし

もっと言えば

学生の時も、いつだって過緊張になると症状が顔を出し、

大事な決断ほどうまくできていなくて

周りの人が”周り”にいてくれていると思えず

助けてほしいと思っていることさえ自覚できず

非常に不器用な生き方をしてきていて

それでいいと、諦めていたけれども なんだか言葉にできず

 

けれど、

年齢を重ねて、若い時藻掻いて這い蹲って生きていた時よりは

生きやすくなった

それでも生きづらいけれど

まあええか。

 

元夫とは元々真逆の性質を持っていたことは結婚前からわかっていたし

それぞれ同じ方向を向いていると思っていたけれど、たまたまタイミングが合い同じ点に止まったから結婚したのであって

自分らしく歩こうとしたらお互いのことなんてみず、真逆の方へ走ろうとする元夫を慌てて私がついていくことで

なんとか「夫婦」の対面を保っていただけ。

私がその努力をやめ、自分の道を歩き出したら

そら全く別の方へ歩くし、誰も止める人なんていない。

もう自由なんだ。