遺書

息してる証明に綴る ASD女性のブログ

なんてことはない始まり

このブログを開設したのは2018年、今から五年前なのに

未だ初めての記事を書いていないし

 

ブログのタイトルなんか遺書にしてしまう

ただ何か残そうと個人記録を取ろうとして、重い腰を上げただけで

なんてことはない。

 

 

 

なぜこのブログをはじめようとしたのかというと

ADHD女性のブログや作家さんは多いけど、ASD女性の話はあんまり聞かないよなあ、

他のSNSから聞くにしても、そこまで話題にならないよなあという気付きから

何か残したい気持ちになり始めました。

 

 

私は発達障害があって

二次障害もPTSDもあって

他にも細かいなんかがいろいろあり、

非常に生きづらい人生を送って来た。

まともな職歴も学歴もなく、年金もらって生活してる。

 

今も生きる希望や

自分への期待はなく

さっさとぽっくり〇なねぇか、と思う念慮は幼少時から消えず

なんとなく〇殺ができないので

国のお金で生きている、生かしてもらっているだけの

社会のゴミだと認識している。

 

それでも淡々と日々は続いていくし

ネガティヴな想いだけを持つのは損失だし

朝日は生けとし生きるもの、全てが望んでもいいことのひとつだし

時間だけはみんな平等だ。

 

私の場合は、ただ現代社会や、周りの人間と合わなかっただけで

細かいことは割愛するがこういうことになって

もしここから真っ当な定職に就いたり、

離婚が成立してから素晴らしい人と出会って再婚なんかして

ただひたすらしあわせな家族を築くことができたら面白いよなぁと思い

毎日少しずつ努力と言っていいのか、日々を積み重ねている。

 

人間だれしも加害者であり被害者であって

どの家庭でも何かしら問題はあるし

表面で見えていないだけで皆問題があって苦労もしていて

誰もがただ診断されていないだけの病人だ、ということも重々承知の上で

そう思っている。

 

辛いことがあっても、本で言えばそれはただの序章であって

これからまだまだ時間の許す限りは私の物語が続いていく。

誰も観客はいないし、私が私だけのために生きていく本。

そうしていつか遺書になる。